怪物クン

ロッテ・佐々木朗希投手のファンブログです

金子さん:道のりが唯一無二

 

25.1.18

佐々木朗希投手(23)のドジャース入団が17日(日本時間18日)、決まった。毎年のように日本人選手がメジャー挑戦する時代。ただ、佐々木の場合は道のりがあまりに唯一無二すぎる。11年の東日本大震災を乗り越え、ついに海を渡る。

 

佐々木は小学3年だった11年3月11日、東日本大震災で被災した。父も祖父母も、家も失った。故郷の陸前高田は海底が低く、街の大半が大津波に流された。

 

地震が起きて小学校の校庭で待機し、その後「津波が来るぞ‼」という大人の決死の叫びに、兄弟らと高台へ走って逃げた。近所ゆえ親がすぐに迎えに来た児童には、大津波で亡くなった子どももいる。偶然が生死を分けた。

 

3月11日、本当は両親に買ってもらった茶色のグラブで、上級生たちの練習に混じる準備をしようとしていた。人生、いつ何が起きてもおかしくない。「今があるのは決して当たり前のことじゃない」。胸に刻み、今まで生きてきた。

 

苦しくても落ち込まず、むしろ懸命に生き抜いた。大船渡市内の、河川敷にあるグラウンド。友人の母が回想する。「朗希くん、いつも練習に最初に来ていたんです。土日は朝も早くて、まだ寒いから、ベンチに水滴がたくさん付いていて。朗希くん、いつもそれをひとりで一生懸命ふいていたんです」。

 

中学時代も成長痛に苦しみ、自らの気づきでストレッチを徹底したことで、165キロの礎となる柔軟性を身につけた。181センチだった父功太さんを優に超える背丈に。毎朝、背筋を伸ばし「行ってきます」と手を合わせてきた。この冬も。

 

津波による漂流物はアメリカ西海岸にも届いたとされる。震災の数時間後に米国を訪れた日本人を、米国人たちは「よく来たね」と号泣して出迎えたという。生死の最前線にいた少年は、いつしかとんでもなく大きくなり、自分の力で途方もない夢の入り口までたどり着いた。

 

ロッテでの5年間、実質4年間で160キロ台の直球を877球も投げた。こんな投手は他にいない。なぜここまでになったか。背を伸ばすための早寝教育を実践したとはいえ、母陽子さんは「分からないんです。本当に」と何度も首をひねる。何不自由なく英才教育を受けてきた野球少年ではないのに、なぜ。陽子さんはこれだけのものを背負ったことを「運命…なんですかね」という。

 

運命の巡りは今回も。「メジャーで頑張ってきます」。ファン感謝デーでロッテに別れを告げたその日、24年11月17日は、震災からちょうど5000日の節目の日だった。そして、ロサンゼルスには山火事で失意に暮れる人が多くいる。大人になった佐々木朗希の直球には、人々を奮い立たせるものがある。

 

 

 

※01年エクスポズ(吉井、伊良部、大家)、03年ドジャース(野茂、石井、木田)は3人が同じ年に先発登板したが、先発試合数は伊良部が3試合、木田が2試合にとどまるなど、先発陣3人が定着した例はない。

 

ドジャース…市民が路面電車を避けて歩いたことから「よける人」の意味。ロバーツ監督は沖縄出身で母親は日本人。